沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故と米軍の対応

沖縄国際大学への米軍大型ヘリコプター墜落事故

2004年(平成16年)8月13日(金)午後2時15分ごろ、炎天下の中、普天間飛行場に派遣されていた米海兵隊所属CH-53D型ヘリコプターが、沖縄国際大学の本館ビルに墜落、激突後に、爆発炎上するという重大事故が発生しました。
午後2時19分に、宜野湾市消防本部に市民からの通報があり、現場に到着したのは午後2時27分、必死の消火活動により火が鎮火したのが午後3時8分、消防本部が到着して41分後のことでした。


沖縄国際大学の墜落現場幸いにも、市民、学生にケガ人は出なかったものの、大学本館に激突した全長23メートルの大型ヘリコプター(CH-53D)は、回転翼でコンクリートを削り取り、削られたコンクリート破片は弾丸となって飛散し、鉄製の扉や窓ガラスを割って民家に飛び込むなどの被害が相次ぎました。一歩間違えれば悲惨な状況になるところでした。
【↑画像クリックで拡大】 沖縄国際大学前で撮影

消火活動を終えた宜野湾市消防に対し、米軍は消火現場から立ち退かせ、墜落事故現場を制限し、大学構内が米軍によって一方的に占拠されました。事故現場を訪れた大学学長や宜野湾市長の立ち入りも認められずに、大学構内が占領時のように米軍の管轄・管理下に置かれることになりました。
本来であれば、日米地位協定によって、「日米相互に援助しなければならない」と定めていますが、この規定が機能しなかったのです。

事故発生後の翌日から沖縄県警は米軍に対し、合同による現場検証の実施を求めましたが、米軍からの明確な回答が得られないまま3日が経過しました。そして、米軍は8月16日午前から墜落現場周辺の立木を大学の許可も得ないままに伐採後、墜落機及び現場周辺土壌を回収し、基地へと持ち去りました。
米軍は事故発生から9日目にあたる8月22日から事故原因が特定されないままにも関わらず、事故同型機の飛行を開始しています。


墜落による被害

墜落事故が発生した沖縄国際大学周辺は小学校、保健所などがある住宅密集地であり、事故機は我如古上空で尾翼部分(テールルーター)を落下し、操縦不能になったまま沖縄国大大学本館ビルに墜落、激突後に激しく炎上しました。

ヘリに搭乗していた米軍関係者3名が負傷したものの、奇跡的に民間人の人的被害は確認されませんでした。物的被害については、民家等29戸、車両33台等の損傷が確認されました。

【被害補償額】
米軍ヘリ墜落事故による被害補償額としては、日本政府が2億5千万円を被害者に対し支払を行いました。その内訳は、もっとも大きな被害を受けた同大学1号館の補償費用1億4千万円を含む2億4,300万円が沖縄国大大学に支払われ、その他周辺住民らに対する被害額1,600万円が支払われました。


墜落事故に対する米軍の対応

事故発生から4日目の8月16日、在沖米海兵隊基地司令官のジェームズ・フック准将は、宜野湾市役所を訪れ、伊波市長に対し、墜落事故に対する謝罪を述べましたが、訓練の飛行再開を明言しています。
その後、墜落事故対する記者会見において、在日米軍トップのワスコー在日米軍司令官は「乗員は素晴らしい働きをした。コントロール不能のヘリを極力人の少ない場所に導いた」等、兵士の働きを賞賛する発言を行っています。


「普天間基地の市民生活への影響」 の関連記事



※当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用を固く禁じます。


TOPPAGE  TOP 
RSS2.0